2015年3月26日木曜日

カミングアウト

アルプスのなんちゃらと名乗っていた僕も、めでたく帰って来ております。

もはや「下総の盃次郎」というところですが、特に変えずに参ります。
実際には、もう少し北上して腰を据える予定でございます。

さてはて。

いろいろと問題あれども、やはりここは僕の祖国ジャポン。サイコーです。帰って来て改めてなんと愛おしいことでしょう。


今現在、たまたま富士山の横を通過しているだけに、感傷もヒトシオです。

日本人のみなさまも、もっと愛した方が良いと思います。ニッポン、大切にしないと、もし無くなったらこんな感じの国は他にはありませんよ。

まぁまぁ、余計なお世話な話題は置いておきまして。
帰国後、しばらくヨメ殿の実家に逗留していましたが、ようやく久々に僕の実家へ帰りました。
大して遠くもないのですが。

夜着だったので、早速、我が親父殿と久方ぶりの盃を交わしにお出かけ。
ぐいぐい呑んであっという間に酔っぱらいになる我が父。

こちらから聞いたわけでもないのに、妙なカミングアウトをし始めました。


「オレはな、おまえに内緒でポエポエに通うつもりなんだよ。今、言っちゃったけどな。」


ウクレレに触ったこともない親父の口から急遽「ポエポエ」なる単語が出てきたことに驚愕する僕。

久々に会ってから10分以内に内緒を暴露する親父にも驚愕。

しかし、独学大好きの親父がウクレレ教室に通うという行為を自ら求めたことが何よりも驚愕。

親父が大好きな吉田類氏の「酒場放浪記」というテレビ番組。
その女性MC版「おんな酒場放浪記」を見てポエポエを知ったという親父には驚愕せず。

「おんな酒場放浪記」がポエポエを取材した事実にはもちろん驚愕。


「やれやれ、やったれ。」


若干、担当の先生が苦労するんではないかと危惧しつつも、アルツハイマーのサラブレッドとして、そのリスク軽減を思えばもろ手をあげて大賛成なのでした。

持って行かなくても、実家にウクレレがあるというのが、またいとをかし。

手がクソデカイ親父殿なので、テナーかな、と思うどら息子でございます。

2015年3月17日火曜日

さらば!

いよいよ、欧州生活が終わりを迎えようとしています。

ホントにギリギリもギリギリ。
ただいま、チューリッヒ空港のラウンジです。

セキュリティコントロールもパスポートコントロールも抜けました。

ボケっと滑走路を眺めて、ボーディングを待っています。飛行機がどんどん離陸していきます。





6年半という海外生活期間を回想して、最後は何か胸に迫ってくるようなものがあるのかと思いましたが、特にそんなこともなく淡々としています。

土壇場の帰国過密スケジュールのため心身がヘトヘトで神経が鈍化しているのと、帰国してからの生活のセットアップにさらに体力が必要であることから、「終わった」感がやってこないためかもしれません。

僕のウクレレ3本のうち、初代KALAのマンゴーソプラノと、夜練用トラベラーズギターウクレレは航路で日本に向かっています。2ヶ月待ち。

松井ウクレレは僕と帯同。

日本には1年前に買ったサンバーストカラーのフェンダーのエレクトリックマンドリンタイプのウクレレが待っており、そして、月末近く岐阜の工房までニューウクレレをオーダーしに行く算段もございます。

「生活のセットアップで忙しいんじゃないの?」

そう思った方。僕もそう思います。

でも、ご存知の通り、甘いものは別腹なのでございます。


さてはて、尻切れとんぼになりますが、そろそろボーディングのお時間。


さらばスイス!待ってろ日本!
だが、その前にタイだ!


長い長いバンコク経由17時間の旅が始まります。



2015年3月10日火曜日

パリ・ウクレレフェスティバル2015の情報

「あああ!」

今日、会社からの帰り道で僕は思わず声をあげてしまいました。


昨年、僕は、僕にとって欧州最初で最後そして最大のウクレレイベント、パリ・ウクレレフェスティバル2014にでかけました。
そして、その模様を何かにとり憑かれたように詳細にまとめ記事にしました。

但し、ここではなく、こちらです。
https://note.mu/rinrintaro/n/neb21ed54dac2

【リンクに飛ぶ前のご注意】

僕は、元々うんざりするほどブログが長いことに定評があると自認しておりますが、それをもってしても断言できます。
このレポート記事は僕のブログ的記事の中でも、ダントツに最長です。
相当時間をもてあましているときにご覧いただければと思います。
ちなみにこちらにも記事を移そうかと思いましたが、段違いの分量で完全にもてあましました。お手上げです。


さて、そんな僕ですが、来週には欧州生活を終了し日本に帰国するため、今年のパリ・ウクレレフェスティバル(長いので以後PUFと略します)には行けません。
無論レポートもできません。

ですが、長いレポートを書いたことでPUFにはシンパシーを感じているため、今年の情報をたびたびチェックしておりました。

そして、本日の帰り道、Facebookでその情報が更新されていることに気づき、驚きに襲われたのです。



ページを開き、ピンクの鮮やかなベース色に浮かび上がった文字『The Sweet Hollywaiians』。


「ん、これは、なんだ、まさか、あの、あれか?」


昨年のレポートを読んだ方はわかると思いますが、レポート内の主催者率いるバンドの項でちらっと『The Sweet Hollywaiians』について言及しています。

別に、「僕はわかっていたんだよ」的な自慢がしたいわけではなく、単純に想像できるのです。


「PUFの主催者は『The Sweet Hollywaiians』を知っていたはずだし、絶対に好きに違いない。」


ちなみに、Facebookのコメント欄には「え?The Sweet Hollywaiians?俺行く!」というフランス語のコメントがありました。
好きな人は動画などを通じてバンド名を認知しているのだと思います。



ところで、今でこそこのように冷静に書いておりますが、その文字を見たときにはまだ舞いあがっておりました。


「待てよ。僕の知っている『The Sweet Hollywaiians』とは限らないじゃないか。」


僕はふわふわしながら、確証を得ようとコンテンツを彷徨いました。
そして、衝撃の事実に気付いたのです。

それが、毎年とってもかわいいアートワークを誇るPUFのポスターです。2015年ヴァージョン。






・・・か、か、カタカナ!!!

僕はこのとき完全に確信しました。

これは、僕が知っている、あの、スウィート、ホリワイアンズ、だ、と。

ちなみにPUFの公式サイトでは、彼らの雄姿がシャキーンと、大分大きく表示されています。
http://www.ukuleleboudoir.com/festival/






これは昨年のポスターで、我が家では額に入れて飾ってあります。
ポスターに依れば、場所は同じですが、日程を比べるに、去年は1日間、今年は3日間と増えています。
今年もコンサートがあるのは2日間だけのようですが。

いずれにしても、私としては、なぜ今年!今年行きたかった!というのが本音です。
いや、「今年も」ですね。

語学力も上がっていますし、今年はもっと魅力的なレポートを書けるのに、と、悲しいところです。

しかし残念ながら、僕は来週、大好きなウクレレプレーヤーの1人、アピラック氏のホームタウン、タイのバンコクを経由して日本に帰ります。
ストップオーバーするわけではありません。ただの乗り換えです。

さらば、PUF!!!




数あるどんどん早くなっていくよ!系の中では、いまのところ最も好きな動画

しかし、必ずしも彼らの音楽の典型的な例ではない動画だとは思います。





2015年3月8日日曜日

特別な夜

久々に呑みました。

いえいえ、先週の送別会をはじめ、ちょこちょこと呑む機会はあったのですが、『久々の深酒』の意です。

こないだの月曜日、VISA失効2週間前の時点で、あらゆる実務的な帰国準備が完全に滞っていることが判明。
「これは日本に帰国できないんじゃないか」という状況に陥りました。

※実際にはVISA切れで強制的に帰れますが。

そんなわけで他人任せにできなくなり、自分自身で怒涛の準備を開始。
時差を念頭に各所調整し続け、金曜日までに全ての手配を終えました。


ふう。


帰れます。


よかった。


通常であればこの数週間、帰国日が決まり手配が完了していれば、センチメンタルな感情に支配されていたのではないかと思います。

この国を去ること、楽しかったこと、苦しかったこと、友達・同僚・隣人・小さく関わった人とのつながり、様々な思いが交錯するはずです。

しかしながら、こうもギリギリの展開を迎えると、寂しさよりもただの不安の方が大きく、感受性の高まる瞬間が全くやってきませんでした。


ただ、手配が終わり帰国の実感がようやく芽生えたこの週末。
ようやくそれらしき瞬間が訪れました。

こないだの送別会とさして変わらぬいつものメンツではしご酒。

ビール、白ワイン、ロゼワイン、白ワインと続き、そしてひたすらビールの連続。ハラタプンタプン。

皆、この街に来たからこそ出会った友。それぞれ別のルートでバラバラに集まった友。
それぞれの出会いにストーリーがあります。

大して前の話でもないのに、密度が濃いので立派な昔話。
それを掘り出して笑い、ただでさえオープンなのにさらに思いを隠さずにぶつける特別な夜。

そりゃ、ビールも止まるわけありません。
いつもは酔うほど呑まないヨメもいっぱしの酔っ払い。

こんなときに、フッと数秒我に返りいつも思い出す言葉。


『真の贅沢というものは、ただ一つしかない、それは人間関係の贅沢だ。』


あまり誰かの格言めいた文言に心動かされたくない僕も、この言葉には無力なのです。

そして今朝。

疲れているはずなのに、4時間弱しか寝れずに起きる僕。御老体。

二日酔いではないものの、二度寝する体力がないという矛盾。不健康。

他にやることが沢山あるのに、ブログを書いているという怠慢。逃避行。

ちょっとイイ話をしたつもりでも、リアルはいつもこの程度のものである、と、合点しながら白湯を飲むのでした。

2015年3月2日月曜日

指板の跡

はしら〜のキーズはおととしの〜♪

季節外れ、節句違いもいいところですが、あと残り2週間ほどで、ウクレレを始めて2年になります。

そして同じく残り2週間ほどで、スイス生活も終了する予定です。

ウクレレを始めて手にした日をこうもハッキリと覚えているのは、僕がそれなりに気色悪い性格なのかもしれません。

※前にも言いましたが、ヨメに出会った日だとかその類は全く記憶にございません。

ウクレレとハワイで出会ったわけでなく、友達に勧められたわけでなく、たまたま楽器屋で手に取ったわけでなく、偶然見たライヴに感銘を受けたのでもなく、完全にゼロの状態で片道電車で1時間半、徒歩30分の道のりをかけて、ただウクレレを買いに行ったことが妙にインパクトのあるイベントだったということでしょう。

それから、僕の傍らにはずっとウクレレがありました。雨の日も風の日も雪の日も雪の日も雪の日も、ずっと弾きました。
今思えば、独りで右も左わからぬ試行錯誤を繰り返しておりました。

そして、ウクレレ歴半年を待たずしてウクレレをオーダーする、という暴挙を犯しました。
そのウクレレをただひたすらに弾き続け、師を求めつつも独りでその思いや、しょうもない紆余曲折をブログに垂れ流して、ここに至っております。

僕としては、その記事全て、どれも今から否定してリセットしてしまいたいような気持ちに駆られています。
しかし、過去は振り返らず、人様に向かって物申すなれば、その滑稽さや赤っ恥もろとも隠さずにおりましょう。

さてはて。
「柱の傷」のようなウクレレの成長の証。
それは指板上に黒く光る指の跡。
特に僕のウクレレは指板まで漆で塗装されていますので、レモンオイルなどを塗ることはありません。

固く絞った濡れ布巾で拭きますが、跡は完全に拭き取れないのです。

褐色のコア指板に、黒色に変色した指の跡。傾けて光に当てると光沢が。これも僕の歴史の一つのなのでしょう。
※決してポテチつまみながら弾いたりはしてません。

どうもちょっと感傷的なのは、今日、スイスで出会った愛すべき友人たちに送別会をしてもらったからです。

僕らを驚かそうと練りに練った企画。休日に朝から準備してもらって・・・その気持ちが嬉しいのです。


いい夜です。


クマの子見ていたかくれんぼ〜♪