2017年8月15日火曜日

スマホ用外付けマイクとウクレレマガジン

ちょっと思い立ちまして、動画を撮るときに使えそうなスマホ用の外部マイクを探しに秋葉原まで行ってみました。平日が休みになったもので。

ですが、なんか、ないんですね。2、3年前まではソニーから出ていたみたいなんですが、販売終了してまして。それは調べていたのでわかってはいたんですが、何にも出会うことができず、しかもAndroid用はネットを探してもなさげな雰囲気です。まあ、あっても高かったらあんまり意味がないのですが。

1、2時間は探し歩いてくたびれたので、キワヤさんに移動して今更ながらウクレレマガジンを買いました。売り場が開いているキワヤさんに入ったのは1年ぶりくらいです。

レッスンの日だったのですが、1時間以上前に着いてしまったので、グッディ安田さんにお願いして3階の教室前でウクレレマガジンの曲をひたすら練習しておりました。

マウイチャイムズのちょっと難しい方の譜面です。今まで全編を通して摘まんで鳴らす系の譜面はあまりやったことがなかったので、はじめは酷い有様でしたが、なんだかものすごく楽しくなってきてしまって、夢中で弾いていたら1時間はあっという間でございました。

コード進行を強く意識させる譜面デザインとアレンジで、コレはいつも師匠が僕らに言ってることだな、と、1人合点しつつ。

さらには、マウイチャイムズ自体が僕のウクレレ友達のオハコで、すごく好きな曲なので、とりあえず違うアレンジだし、弾けてもよかろと練習しております。被らないところで使えれば、と。

ま、それ以外にも沢山練習してる曲がありまして、いつもいつも時間が足りないと思うております。

2017年7月31日月曜日

オクターブ奏法の練習

週末はウクピクでしたね。
師匠やライヴ仲間、友達、知り合い、存ぜぬ方、SNSで画像や映像を見て楽しませていただきました。

僕は行くことも考えたのですが、いろいろと家族の予定などなどと調整がつかず、今年も見送ってしまいました。来年は行きましょう、きっと。

それに、ただいまウクレレ貯金中でございまして、もう少しで目標額に到達するというところでもあり、勢いに乗りそうな場所ははなはだ危険!

君子、危うきに近寄らず


さて、実際には君子とは程遠い僕ですが、最近のウクレレ事情といいますと、オクターブ奏法の練習をしております。
オクターブ奏法とはなんぞやと申しますと、例えばタブ譜だとこんな感じです。


6
×
3
×

とか、

8
×
5
×

などという、1弦と3弦をつまむのではなく、2弦と4弦をミュートしてストラムする弾き方です。ミュートはしますがミュートのザラっとした音は必要だというヤツです。
また、大概、オクターブ奏法の音が連続してやってきます。

今までも、何度かお目にかかっておりましたが、ほぼうまくいかず、なんとなくごまかしておりました。
オクターブ奏法の部分だけいきなり弾く、ということであれば、それはわりと成功率は高いのですが、大抵の場合流れの中で出てくるもので、しかも盛り上がってとこでやってくるもので、どうしてもうまく押さえられなかったのです。さらに左手を上手にスライドして次のオクターブ音を押さえるなんて、ただのパニックでした。

そしたら、うちの師匠、今期の課題にメロディーがほぼオクターブ奏法というとんでもないアレンジの曲をぶちかましてまいりました。。。

当初、不安しかありませんでしたが、コツを伝授頂きまして。前から自分で試行錯誤してもどうしても安定してできるようになるとは思えなかったこの技術に一筋の光明がさしまして。
やっとこさ「これなら練習すればできるようになるな!」と思えるようになりました。

なにやら雑誌の裏表紙の怪しげな広告のくだりみたいですけど。

コードや運指など、複数の弦を押さえる際に、軸になる指というのがあると思います。しかし軸になるのが指だけとは限らないのだな、と目から鱗。

とは言っても、そこからひたすら練習が必要なんですなー。さ、練習しよ。


2017年7月7日金曜日

スラックキーギターに魅せられて

魅せられてしまった。

前述のラストギター発表会で、実は完全に魅せられてしまいました。

スラックキーギターに。

実はラストギター発表会には、ウクレレの他にスラックキーギター奏者のMakalaniさんの生徒さんによるギターの演奏発表もあったのです。

これまで、スラックキーギターについては、オープンチューニングのギターだという漠然とした認識しかありませんでした。
その音色を聴いたことはあったと思いますが、ウクレレを愛しすぎるがゆえに、なんとなくという感じで、イマイチよくわかっておりませんでした。

実際、今ここで説明しろと言われたとして、そうそう一言ではしかねます。

とりあえず、発表会を観ていてわかったこと。

スラックキーギターはハワイの文化から生まれ出たものである。

スラックキーギターという楽器があるわけではなく、一般的なギターチューニングに依らない、自由な(とは言ってもポピュラーなチューニングの種類は存在する)奏法のことである。
つまり、アコギやガットギター、エレキギターでも、スラックキー奏法は可能である。(ウクレレでもできるらしい)

奏法なので、演奏するジャンルをハワイアンに限定するものではない。

ま、こんなところでしょうか。細々した言い回しは間違っているかもしれませんが。

そして、僕が魅せられたのは、スラックキー(キーを緩めた)調弦によるその低い低い音なのです。

普段、高音なウクレレを弾いているがゆえのアンチテーゼ的な趣向なのかもしれません。
低く深い抱かれるような響きに、ものすごく癒されました。
しかも、これまでそこまで好きでもなかったハワイアンの演奏が、ウクレレよりもずっとしっくりきたのです。これならハワイアンが積極的に弾きたくなると。

これはいつか手を出すと直感。

ただ、今は生活に入れ込む隙がないので、子供にもう少し手が掛からなくなって、、、などと考えております。
子供に手が掛からなくなったらなったで寂しいことこの上ないはずなので、そのポッカリあいた穴にスラックキーを投入して癒されようという身勝手なシナリオです。

一応、ウクレレに対する情熱はいささかも衰えてはいないことはお伝えしておきますが。

それに今は、新しく注文しているウクレレを待っておりまして、買ったらすっからかんですが、ピックアップもつけたくて、そうなるとギターまでが経済的に遠すぎる、ということもあります。
なので、しばらくはやりませんが、いつか必ずやります。それはもう間違いないと思っとります。

2017年7月6日木曜日

今日僕はウクレレを弾く ~ラストギター発表会 2017

さて、続き。

そういうわけで、改めて自分のウクレレにまつわる体験を振り返り、このブログの空白部分をざっくり埋めてまいりました。

そして、ここからがこれまでの流れの完結編にして本題です。

僕がまた改めてブログのためにキーを叩き出したきっかけは、それは、先月あった南阿佐ヶ谷ラストギター主催の発表会があったからなのです。

僕らはキワヤデイジーどぶゆきウクレレソロクラス所属ではありますが、師匠のコネクションとラストギターさんのご厚意で2年連続で参加させていただいております。大変ありがたいことに。

2回とも、この発表会に賭ける熱い想い、というほどに燃え上がって参加表明しているわけではなく、ふわっと始まるプロジェクトみたいな感じでスタートしました。
しかしこの性格です。最終的には「やったるで~」と、もちろん一緒に演奏する面々も含めて少しでも印象に残るイイ演奏をしたいと思ってやっているのです。

ちなみに昨年は2人でエルビス・プレスリーの『Heartbreak hotel』と、ウクレレ界では比較的有名なラグタイム曲の『12番街のラグ』を弾きました。
今年は、ハワイアンの『カウアイ・ビューティー』と、ライ・クーダーの『Happy meeting in glory』を3人で演奏しました。

今年はMCにもちょこっと挑戦して、大きなミスなくまずまずの演奏ができました。
ただ自分の演奏が観てくれた方にどう響いていたのかは細かいところまでは、正直よくわからないのが本当のところです。わりと必死でしたので。

しかしながら、自分が見る側まわったときは、今年は不惑を過ぎて少々アンテナの感度が高かったのか、他の演奏者の方々が、僕らと似たような想いで演奏する姿がやたらとリアルに胸に迫ってきました。

そして2回目からだからなのだと思いますが、前年に聴いた方の今年の演奏の変わり様に、なんだか驚きをもって感動しました。センセでもないのに。

なんというか、ピンとくる表現を一番短い言葉で表すと『情熱』です。
いわゆる別に見た目アツアツな情熱じゃなくても、人前でイイ演奏する気概というか、みんなを楽しませようとする心意気がグッとくるんです。

演奏者たちの現時点でのレベル差は、それは多かれ少なかれありますが、蔭では誰もが沢山練習してるはずです。
何ヶ月やら1年やら自分のカラダに刻み込んだ練習の成果を、それを、この5分や10分に集約するのです。

演奏動画のように、何度もやり直して一番良かったテイクを使ったりはできません。
一発勝負。上手くいくところもあれば上手くいかないところもあります。ずっと上手くいってたのに、その場では上手くいかないこともあります。
それも含めて、今の自分の演奏がただただそこに鳴るのです。

技術的には、プロのように研ぎ澄まされた演奏と並ぶわけもありません。しかしながら、それとは別次元の個々の真剣な、または真剣に弾けた重みがあるのです。

斜に構えて言っちゃえば、コレ、どんな演奏であろうと何にもならないんです。

評価はつかないし、お金にもならないし、演奏動画で沢山イイねがついて自慢できるわけでもないし、家族に言っても「そうなんだ」で済んじゃうし、「コレが俺の生きてる証」というには大袈裟過ぎるし、世の中の多くの人を感動の渦に巻き込むこともなければ、誰かがずっと覚えてくれることもない。自分でもいつか凄く薄い記憶になるかもしれないし。

でも、だからこそ、そこに『情熱』がなければ成り立たないのではないのか、と思います。


演奏を通して、一本のヒトの想い、真っ直ぐ見えたというか。しかも、それをみんなで共感したというか。

そんな風に思っていたら、イベントの最後になって、このことを指した師匠の言葉や、涙ぐんでまで感動を伝えてくれた講師陣の言葉に、僕も危うくほろほろといくところでした。

危ない危ない。。イイイベントだったじゃんか。


さて、最後に。

『何のためにウクレレを弾いている?』

たまーにそんなことを思うことがあります。
ウクレレを弾かなくても死んだりはしないし、他のものでも楽しい人生をビルドアップすることはできるので、その絶対的な回答はないと思っています。
細かい答えを拾い集めて、たぶんこれが答えの1つだ!というのがホントのところかと。今回は、まー、そういう類の1つだったのだと思うわけです。

たぶん、このイベントの様子を映像にしても、僕の言いたい空気は伝わらないでしょう。
僕はウクレレを通じてあのときのその場にしかないものを回収したのであり、そして、言葉にしてもオイソレとヒトに伝わらないものを今、ここにたらたらと、書いたのでした。

うーん、久々の大盛投稿。満足。
明日以降はライトにライトします。





2017年7月3日月曜日

キワヤデイジーどぶゆきウクレレソロクラスへ(下)

さて、続き。


レッスンに入ってしばらくは、一歩引いて大人しくしておりました。
実際、講師のイメージに反して!?非常に落ち着いた感じの生徒さんが片手ほどしかおりませんでして、空気を悪くしないよう、なるべくやらかさないように、と、自分を抑えておりました。
ちなみに今もあんまり多くおりませんでして、是非一緒にやりませんか?とこの場で申し上げたかったりするわけですががが。

ま、月日も経てば慣れてきて、レッスン中に会話を撃ち込めるようになっていきました。そもそもは、撃ちたくなると抑えるのが大変なタイプでして。

デイジーさん自身ともちょいちょい親交が深まるようなエピソードがあり。
レッスンにAncestor'sのウクレレを持って行けば、坂井さんとデイジーさんのエピソードが出てきたり、そもそも「そのウクレレこないだ白土さんのとこに工事に出してたでしょ?」ってな話になったり。。。そんな話してたらデイジーさんのライヴにでかけたら隣にたまたま隣の席に白土さんがいたりとか。

それでもって、肝心のレッスンですが、2ヶ月に1曲のペースでやっておりまして、ジャンルは様々。
ただ、毎回技術的なテーマがあり、コレがなかなかいいのです。引き出しが増える上に楽しいのです。また、変則的なリズムや、コードの解説、大切にする響きや合理的な運指など細かく教えてもらっています。

ま、それだけといえばそれだけなんです。
絶対誰でも上手くなるかどうかはわかりません。ただ、僕に対する最も身近で最も手厳しい聴衆である奥方様は、デイジーさんのレッスンを受けて、明らかに僕の演奏の技術が上がったと言いますので、たぶんそうなのです。
上がらないで停滞していようものなら、子が産まれた時点で、即時撤退を申しつけられていたはずですから。

だったら動画でも何でもその証拠を見せーいっ!
と、いうところなのかもしれないので、久しぶりに演奏動画をアップしようかなと思います。
まだ撮っていないので後ほどの記事で。ハードル上げちゃいましたが、あくまで戦うべきは過去の自分です。


そんなこんなで気がつけば1年と半年程度の間レッスンを受けておりまして、師匠への愛情もひとしお。

というか、この人は師匠と呼んでいいかもしれん、と思うようになりました。

※デイジールックで飛び跳ねたりはできませんが。

2017年6月29日木曜日

キワヤデイジーどぶゆきウクレレソロクラスへ(上)

さて、続き。

デイジーどぶゆきさんのことは、スイスにいる頃から知っておりまして、それどころか、前述しました通りピッキングスタイルを考える中で参考にした人物でした。

デイジーさんと言えば、溢れる声量と強烈なキャラクターの第一印象。それだけ見るとなんかふざけてると思われがち。ウクレレをオシャレにキメたいみたいなヒトにはたぶんウケないでしょう。

ただ今となってはわかります。実はとってもとっても小さな音をニュアンスに加えて大事にする、凄く繊細なミュージシャンなのです。
そりゃ、超ハイテンションなのもありますが、至極まじめに、自分の伝えたいエンターテイメントに取り組む御仁。

ただ、当時はそこまでのことなんて知らないのです。歌の人、という印象でした。
動画を検索すればソロの曲もありましたが、あくまで歌メインのミュージシャン。
ウクレレソロクラスは時代のニーズに合わせて仕方なくやっているものなんじゃないかと、疑いました。さらには、ソロと言いつつちょいちょい歌も歌ってるんじゃなかろうか、と。

ところが、迷っていたときに背中を押したのが、意外なことにウクレレのミュージシャンにかなり辛口な我が奥方様でした。

奥方様は僕が思っていたよりずっとデイジーさんの音楽を評価しておったのです。

『とりあえず受けてみるのに値する人である』

そんなわけで門を叩くことになったのです。

電話でアポを取り、キワヤさんのウクレレスクールに出掛け、見学をしました。

そのとき自分の腕で十分対応できるクラスだとは思いましたが、実はここなら絶対上達できる!ほどは思わず、正直あまりピンとは来ませんでした。

でも、一度で何もかもがわかることなどないと常々思っているので、とりあえず入会しました。

でね、結果、コレがまた良かったんですよね。

2017年6月28日水曜日

ウクレレスクールへの道

さて、続き。

とある事情もなにも、もったいつけるようなことでは全くないのですが、奥方様が妊娠→出産というところに相成りまして。

茨城県の南方から、祐天寺までの往復はそれだけでほぼ1日終わってしまうため、これはちょっとアレだな、継続的に通うのは難しいという結論になりました。

※それでも極極たまーーに、どうしても受けてみたいものはタイミングを計って行ったりしてますが。

そして、また独りで練習をする身になったのですが、何というか停滞というか、壁にぶち当たってしまったというか、いまひとつ上達の道筋が見えず、悶々としておりました。

やはり何か外部からの刺激、自分の知らない技術を取り入れなければ先に進めない。そう思った僕は、平日の会社帰りに通えるスクールを探しました。
そしたら何のことはない、キワヤさんくらいしかなかったのです。

『まさか、ここに通うことになろうとは。』

割と天の邪鬼な僕は王道は選ばないことが多いのですが、このときばかりは他がなく。
実際、この時間に仕事終わって来れるのか怪しかったのですが、職場からのアクセスと自宅へのアクセスが非常によかったので、前向きに入校を検討しました。

説明を聞いて、選択肢は3つ。

・キヨシ小林さんのウクレレアンサンブルのクラス
・渡辺海智さんのウクレレソロクラス
・デイジーどぶゆきさんのウクレレソロクラス

さて、迷いました。


キヨシさんのクラスはまずアンサンブルなので本来の目的とは違うかな、と思いつつ、しかし大好きなキヨシセンセなので、一度受けてみたい気持ちもありました。

ただ、勝手な妄想ではございますが、なんとなくキヨシセンセは大勢の生徒の中では半ば神格化されているような印象がありまして。
僕のようなタイプはきっと地雷を踏むだろうと。


渡辺海智さんのクラスは内容がジェイクスタイルっぽいイメージだったので、ちょっと僕には無理かな、と。ま、きっと新しいことを沢山あるはずなので、やってみたくはあるんですが踏み切れず。


で、残ったのがデイジーどぶゆきさんのクラスでした。

2017年6月27日火曜日

ウクレレ文化との遭遇とPOEPOEワークショップ

さて、続き。

日本に帰ってきた僕は、ウクレレをオーダーしたりしながらも、いわゆる日本のリアルウクレレカルチャーを早速謳歌しました。

茨城県は取手の『優しいウクレレ時間』というサークルに参加してはじめてウクレレを弾く友達を得たり。
そのつながりで地元つくばのウクレレカフェなどに参加したり。

はじめてウクレレピクニックに参加して生Corey Fujimoto氏の演奏を観て感動したり、白土さんに再会したり、デイジーどぶゆきさんのハイテンションなステージを観たり。
帰りしなに名渡山遼氏やTomoki Satoのライヴに出かけたり。

浅草HUBのブルームーンカルテットのライヴで富永さんのウクレレ聴いたり。
つくばのYAMAHAで渡辺海智と仙人さんのミニライヴ見たり。

※ちなみにbaronさんは一時帰国の時にミニライヴとワークショップに行きました。あれから行けてないのでまた観に行きたいところです。

という具合に他にもいろいろと楽しみまして、肝心の自分のウクレレの腕の方ですが、もちろんそちらも頑張っておりましたよ。

生活範囲の中で通いたいと思うウクレレ教室がなかったので、空いた週末を利用して時々祐天寺のPOEPOEさんのSWEET HOLLYWAIIANSさんのワークショップに参加しておりました。

丁度、このブログで知り合ったドイツ在住の日本人ウクレレ愛好家の方が、欧州ツアーに出掛けたSWEET HOLLYWAIIANSと現地で割りとガッツリコンタクトをした縁で、話も弾みました。

ワークショップも基本を含め、多くのテクニックを学ぶことができました。
彼らは何しろ演奏するときのフォームが物凄く綺麗で正確、そして無駄がありません。

ソプラノスケールのウクレレであれだけ美しい音を出し続けるにはかなりシビアな指のポジショニングが必要だと想像できるわけですが、円熟した職人技のようなテクニックで、見ているだけでも非常に勉強になりました。

リズムパターンや奏法などもかなりバラエティに富んでいて、僕の実力のせいでうまいこと消化しきれていない部分もあるのですが、今もできることなら参加したいと思っております。

ただ、遠くて。祐天寺。。。

また、彼らの主宰するウクレレオーケストラにも入りかけたのですが、大人数の中で弾くのがそれほどピンと来ず、また、その当時勃発したとある個人的事情により、POEPOEさんでのワークショップ自体にあまり参加できなくなってしまったのでした。

2017年6月26日月曜日

マホガニーのウクレレ

さて、続き!?

スイスでウクレレを弾いていたとき、僕にとっての一大イベントがパリ・ウクレレフェスティバルでした。言わずもがな会場はフランスですが、スイスにはそういったものがありませんでしたので。

※その模様のレポートはこのブログではなく、どこぞに極大盛で載せてありますので割愛。

その会場で出会ったのが、マホガニー材でできたウクレレでした。それなりにざわついた中で試奏したはずなのですが、その中音の響きに魅せられてしまったのです。

フランスからスイスに戻った僕は来る日も来る日もマホガニーのウクレレの音色をネットで追い続けました。ま、その前から来る日も来る日もウクレレ文化と知識の吸収に勤めておりましたので、行動にさしたる変わりはないわけなのですが。

また、前述のメイン機であった松井ウクレレはソプラノロングネックのため小さいボディである上に、弦高をギリギリまで下げたこともあり、ハイフレットの音量に物足りなさを感じていました。

※基本的に弦高を下げると音量が減るのは業界の共通認識のようですよ。

それならばその不満は次のマホガニーで解消、と都合よく正当化していた頃に出会ったのがAncestor's Ukuleleの坂井さんでした。出会ったと言うより、動画の音が気に入って自分でメッセージを送っただけなのですが。

そのあたりのことは、きっとこのブログの前の方に書いてあります。
結果、日本に帰国してすぐシュウマイ弁当を食べながら新幹線に乗って岐阜まで出かけ、注文するのです。
簡単に書いちゃいましたが、それまでもやはり多くのやりとりがあり、ビールとぼんじりで乾杯なんかもあり、なかなかに個性的な坂井さんを知りなつつ、今時はわりと珍しい12フレットジョイントのマホガニーのコンサートを手に入れたのでした。

コレもまたやはりヒトとの繋がりが宿ったウクレレなのです。もちろんビジネスはビジネスですから、ま、それを度外視しているわけではありません。ただ単に注文するよりはもう少し濃密なストーリーがあるということです。

その後、少しチューンをしてもらいつつ、現在のメイン機として活躍しております。昨日のハワイアンレストランの演奏でも使いました。
ちょっとミスもしましたががが(泣)
それはウクレレのせいではなく僕のメンタルの問題なのです。

ちなみに、楽器センター東京の白土さんとの繋がりで買ったフェンダーのフラットマンドリンタイプのウクレレもございます。


いろいろあって、増えるわけです。。。ところが、まだ増えるんです。

2017年6月24日土曜日

番外:トリプルストラム

トリプルストラムという以外にも呼び方はあるようですが、人差し指と親指を使って高速3連符を叩き込むジャカソロには必須な技です。

そしてウクレレ特有の奏法とも呼べるのかな???

ネット行脚をしていれば、かまてつさんやかどくらたかひろさん、Sweet Hollwaians さんなどに行き当たり、それなりに憧れてしまうこの奏法。出会ったのはスイスです。

実は前述の大橋英比個さんのレッスンを受けたときにもちょこっと紹介され感動。
結構値の張るかまてつさんのDVD本とサイレントウクレレを手にしてスイスに持ち帰ってやってみました。

・・・が、なんともならず。

人差し指ダウン親指ダウン人差し指アップの動き、意味はわかるしゆっくりはできるものの、決して3連符にならない、、、無念というかなんというか。
嫁殿にそれは3連符ではないと何度も言われ・・・

結局スイスではどうにもならず、帰国後しばらくしてのデイジーさんのレッスンに入ってからようやくわかることになるのです。
指の動きをスイスで一生懸命やったのはまるっきり無駄と言うわけではありませんでしたが。

コレに関して個人的に思うことは、できるヒトのワークショップなどを受けた方がコツを掴むのが圧倒的に早いと思います。
ま、何でもそうですが、受講前にある程度の指の動きなどをトライした上での方がベターですが。

僕はその後、POEPOEさんでSweet Hollwaiansの高田さんのワークショップも受講して、手をグーパーするようなイメージで、小指親指小指のトリプルストラムも教えてもらいました。なかなか難しいですが、組み合わせて使っています。

トリプルストラムに限らず驚くほどいろんな右手の使い方がありますね。新しいものを覚えるのはとても楽しいです。

ちなみに現在トリプルストラムを使う曲が1曲だけレパートリーとしてありまして、ライヴの曲調に変化をつけられるのと、聴かせるとウチの子供がやたら喜ぶので重宝しております。

2017年6月23日金曜日

僕のウクレレのピッキングについて(下)

で、続き。

動画を見て、なんとか自分でできるレベルで音のばらつきを抑える方法を考えた結果、採用したのは2フィンガーピッキングでした。

何のことはなく、1つ指を減らしたのです。ですが、音質のバラつきはかなり改善したと感じました。神経を払うところが、1つ減るのは大きかったのです。ま、実力がそこまでだったのかもしれませんが。

ちなみにこのとき参考にした動画が、現師匠のデイジーどぶゆき氏でした。まだスイスにいて、全然繋がりなど何もなかったのですが、なんとも因果な話です。

ただ、実際に2フィンガーピッキングはピックを使った演奏と動きが近く、デイジーさんにしろ富永さんにしろ、元々はギタリストでピック演奏がベースにあると思うので、彼らの譜面と相性が良いようにも思います。

2フィンガーに変えてすぐ後に日本に一時帰国したのですが、そのとき予め頼み込んで大橋英比個さんのレッスンを2回ほど受けることができました。
このときも2フィンガーで教えてもらい、特に同じ弦を交互にピッキングするオルタネイトピッキングについて運指練習をしたのが、結構今も活きています。

ちなみにこの場合の2フィンガーというのは人差し指を折りたたむ2フィンガーで、ギタリスト的な弾き方です。人差し指を伸ばしてピックするトラディショナルなハワイアン奏法とは違うものです。

そして、未だに原則として2フィンガーピッキングで行っています。

ただ、結局のところ弾くフレーズによって、3フィンガーが必要な場合もあれば、親指1本の方が雰囲気がでる場合もあり、はたまたトラディショナルなハワイアン奏法じゃないと上手く音が出せない奏法もあり、結局、絶対これじゃなきゃダメだというものはありません。

むしろ、できることなら全部できるようになりたいと思ってます。
幸い僕はただのウクレレ愛好家なので、自分のカラーやジャンルを作って世間様にアピールして稼いでいく必要はないのです。

・・・それから、あと、欲張りなので(笑)

2017年6月22日木曜日

僕のウクレレのピッキングについて(中)

さて、続き。

そうしてよくわからずも指を使いつつ、弾く譜面にとって効率の良いピッキングパターンを経験的に考えていき、なんとなくできるようになりました。

その頃に出会ったのがウクレレマガジンに譜面を提供していた、というか今もしている、富永寛之さんでした。丁度、ライヴを見に行って感動したこともあり、ウクレレマガジンの譜面の弾き方のアドバイスを貰ったりして、あっという間に僕のウクレレのメインストリームになりました。

当時の僕には彼の譜面の比較的易しいものでも、簡単には弾けませんでしたが、とにかく弾くととても楽しかったのです。身体に合うリズムというか。

ま、どの曲もまともに弾けなかったんですが、その中でアレンジが凄く気に入って完璧に弾けるようになろうと、思い定めた曲がありました。

緊張してようが酔っぱらってようが、寝起きだろうが徹夜だろうが、弾けるように。身体に染み込むまで弾き続けてみようと。それが『カントリーロード』でした。

おそらく数千回は練習しましたので、この曲も僕の演奏に多大な影響を与えました。

富永さんはピックを使用するスタイルでしたので、練習するときにピックを使うことも考えたのですが、、、

『肝心なときにピックを忘れて思ったように弾けない!』

という疑似映像が何度も何度も頭をよぎり、ウクレレさえ忘れなければなんとかなるフィンガーピッキングで継続することにしました。

とはいえ、カントリーロードの演奏も、まずは富永さんの演奏を模倣しようと思い、できるだけ同じようなピッキングになるように、親指・人差し指・中指を使った3フィンガーのスタイルに落ち着き、ひたすら練習することによって、まずは3フィンガーピッキングスタイルに固定されていったのです。

これまで親指で弾いていた曲もとりあえずは全て3本指で練習するのを続けました。

でも、結構頑張って練習をしたあとに気づきました。

3本指で弾くと、どうしても親指1本で弾いたときに比べて、ピッキングの音質にばらつきがでてしまう。練習して克服できることかもしれないし、実際3本必要なこともあるけれど、何かいい方法はないだろうか。

そこで、もう一度ウクレレプレーヤーの動画を見て研究することにしたのです。

2017年6月21日水曜日

僕のウクレレのピッキングについて(上)

さて、続き、というか、ちょっと時系列が進みすぎたので少し戻ります。

ウクレレソロの世界にキヨシセンセのウクレレ・ジャズから完全にハマったとはじめの方で申し上げました。実はその後、しっかり流れに乗ってキヨシセンセの楽譜を買い漁ることになります。

その頃の僕の奏法は基本的親指ピッキングのみ。ストラミングのみ人差し指でアップダウンというスタイル。

当時のキヨシセンセの譜面では基本的に問題なかったわけなのですが、僕の中では何やら妙な危機感がありました。

‘親指ピッキングのみではいずれ限界がくる‘

誰に言われたわけでもありませんが、プロのヒトの演奏を見る限り、親指のみという人はあまりいなかったからというのがまずありまして。
そして、なんとなくスローテンポの曲を無理矢理アップテンポにしてみたときに、親指で弾ききることが出来そうにない気がしたのです。
大好きなCorey氏も山ほど指を使っていましたしね。

もちろん、オータサンや、タイのウクレレプレーヤーのApirak氏や、関西の方の新納ユウキさんなどの動画を見ていたので、親指ピッキングにこだわるプレーヤーもいることはわかっておりました。

でも、他の奏法もできる中で、敢えて親指ピッキングにこだわっているのであって、コレ以外ができないのとは全く違うはず、と思った訳なのです。

ですが、どうしたらいいのか全然わからなかったのです。キヨシセンセのウクレレメソッド本に指の指定がある練習フレーズがありましたが、上手く活かせませんでした。

そのため親指でできることをやっていましたが、そんなさなか、また新しいキヨシセンセの楽譜が発売されました。

それがウクレレボサノバ。この中の曲の練習が一つの転機になりました。
ボサノバの奏法として、複数音を鳴らす際に、ストロークや通常のピッキングではなく、指を複数本動員して同時にピッキングするフレーズが沢山あったのです。

このことにより、ずっと眠っていた人差し指と中指、そして薬指に火が入ったのです。親指以外の指で親指とは逆向きに弦を弾く感覚が知らない間に身につきました。小指をボディ表面に置いてピッキング時の右手の位置を安定させる試みも行いました。

こうして動くようになった指で、親指のみのピッキングで弾いていた曲を無理矢理弾いてみました。はじめは特に法則を考えることもなくデタラメに。すると段々と自分の形のようなものができてきました。
親指がベースであることには変わりないのですが、弾く弦によって人差し指や中指のピッキングを追加することがなんとなくできてきたのです。

2017年6月20日火曜日

ウクレレ活動振り返り ~ブログ

さて、続き。

まだ大して話は進んでいないのですが、少し思い返しただけで、ちょっとしたことの一つ一つに出会いが絡んでいて、我ながら不思議です。

細かく書けば山ほどのストーリーがあるのですが、ま、長くなるので自制しておきましょう。ただ、その集合体が『ライフ』というやつなんでしょうね。

・・・ま、なぜカタカナにしたかと言えば、ちょっと軽い感じを出したかっただけなんですけどね。

結果的に何を申し上げたいかというと、何かに情熱を燃やして追求していくと、自然と誰かに出会うということが言いたいわけなのです。全然イヤじゃないけど、イヤでも出会うような。

昨日いただいたとある方のメールに、「腕と自分を磨けば磨くほどいろんな人に会えるぞ!」という喜びの一文がありまして、深く感じ入りました。ね、いいですよね、こういうの。

そんなメールもこの駄文溢れるブログがなければ届くことはなかったのです。実はブログによる出会いもなかなか大したもので、大きな繋がりを生みました。

日本に本格的に帰国したとき、たまたま、時折ブログにコメントをくれていたK氏と同じエリアに住むことになりました。結果そのK氏を通じて彼のウクレレ仲間に入れてもらい、茨城県は取手方面でのウクレレ活動に参加することになりました。(このあと、さらにつくばにも派生するのですが)

そこで、ネットから1人でウクレレ文化を眺めていたのではまずあり得なかった「人前で演奏する」ということに何度も向き合うことになりました。そういった機会がとても多くなったのです。

沢山失敗して、ちょっとは成功して、また大失敗して、いつの間にやらそれが非常にノーマルなことになっていきました。今では、それありきのウクレレライフに変わり、遂にはまさかの地元つくばのハワイアンレストランでのウクレレソロ演奏にまで繋がっていくのです。

ノーギャラですよ。もちろん。

まー、僕程度の腕でそれなりに定期的に一般聴衆(と言っても僕らの演奏をわざわざ聴きにきているわけではございません)の舞台にたてるというのは、ほぼ奇跡のようなもので、いつまで続けられるのかわかりませんが、大変恵まれたことであると同時に、ナイスプレッシャーでもあります。

で、今となっては、コレがとてもとても意味のあるようなことに思えるのです。それはなぜなのか、についてはこの流れの最後に書くことにします。

ちなみにブログでは他にもちょこちょこ出会いはあったのです。現実には昇華される機会に恵まれてはいませんが、いつかそんな機会があるかもしれません。
もちろん、数少ないコメントをくれてコンタクトさせていただいた方のことを忘れるはずもありません。

2017年6月19日月曜日

ウクレレ活動振り返り

さて続き。

ネットの世界でウクレレ文化を知っていった僕は個人製作家の存在を知ることになりました。
知れば知るほど、まだまだウクレレの腕前は貧弱そのものでしたが、どうしても作ってもらいたくなってしまいました。

そこでコンタクトをとってみたのが、松井ウクレレさんでした。何故松井さんだったのかを思い出してしみると、イイ意味で、、、雰囲気でした。

当時はどんなウクレレが良いのか全くわからなかったというのがホントのところで、店で手に取れるわけでもなく、自分の好みもわかりませんでした。そこでしょうもない腕の僕にでも、向き合ってくれそうで心を込めて作って貰えそうな人を選んだのです。

実際に思った通りの対応をしていただき、何度もメールをやりとりしたのを思い出します。
何しろ自分のためのものが手作りで出来上がる経験なんぞしたこともなかったので、とてつもなく興奮しておりました。

そして出来上がったのは、シトカスプルーストップのコアサイドバックのソプラノロングネックウクレレでした。漆塗装で指板はラウンドにしてもらいました。結構贅沢な材料でした。

それをスイスから日本に一時帰国した際にピックアップしました。
嬉しくてですね、途中漆かぶれになったりもしましたが、めげずにスイスで毎日2時間くらいは弾き倒したのを思い出します。

実はこの松井さんとの出会いは、また新たな出会いに繋がりました。
現在、僕の師匠とも呼べるデイジーどぶゆき氏を知ることになったのはこの頃なのです。

そしてさらに、楽器センター東京の白土さんも松井さんの話から繋がったのです。

異業種ではありますが、同種の仕事をしており、その中で一流と評されている白土さんにあって話を聞いてみたい、と。

ブリッジの浮き出した初代ウクレレをもって御茶ノ水に出かけていったのは、僕の中ではリペア依頼以外の思惑もありました。

知識や人柄、仕事に対するメンタリティ、そういったものにとても興味があり、古い道具の話から新しい技術の話、もちろんウクレレの話、話やメールで楽しいやりとりをしました。

そうそう、スイスに戻る前には松井ウクレレの最終調整もしてもらいました。
そしてその数年後、白土さんとの出会いも現師のデイジーさんに繋がっていくのです。

2017年6月18日日曜日

再開

再び、何事もなかったかのように、しれっとブログを綴っていこうかと思います。

何を今更と我ながら思うんですが、今日、ウクレレを通してなんだか静かに感動するような出来事がありまして、それで改めて筆をとってみた次第です。

これまでここで書いてきたことは当時の自分には真実であり、切実なものであったような気がしますが、今となっては・・・正直、誰か他人のような気もいたします。
自分が書いたこと故、否定はできませんが、さしあたり読み返さず、先に進んでみようと思います。

で、いきなりも書けますが、とりあえず、もう一度ウクレレ人生をはじめからざっと思い出してみることにします。
僕がウクレレを始めたのは、確か2013年の3月でした。現在、4年と3ヶ月程度のウクレレ歴になりました。
当時はまだ、スイスの山の中に住んでいたので、冬は雪に閉ざされて外にあまりでれず、ありあまる時間があったので始めた趣味でした。

完全な弦楽器初心者で全く弾けなかったのですが、DVD相手に一生懸命練習して、ほどなくウクレレソロの世界にハマりにハマるのです。

初めて買ったウクレレはKALA のスタンダードサイズのマンゴー材仕様。現在は1歳過ぎの息子くんのおもちゃになっております。

はじめに好きになったアーティストはたぶん渋いのかな、Corey Fujimoto氏。僕の中では今でもジェイクよりもヒーローなのです。

ソロに引き込まれることになるきっかけになった譜面はキヨシ小林氏のウクレレジャズ。きっとそういう人多いはず。

でも、ソロ譜面ではじめて目標にしたのはキヨシセンセのではなく、同人音楽の森からダウンロードしたウクレレグリンピースさんのアレンジで「アンパンマンのマーチ」。何年も全然弾けなかったのですが、しばらく前からレパートリーに入っております。

で、誰もウクレレ友達がいなかったのでネット上に転がるウクレレ関連の情報をアホみたいにリサーチして、挙げ句の果てにブログを始めたのでした。

[ちまちま更新にします]