さて続き。
ネットの世界でウクレレ文化を知っていった僕は個人製作家の存在を知ることになりました。
知れば知るほど、まだまだウクレレの腕前は貧弱そのものでしたが、どうしても作ってもらいたくなってしまいました。
そこでコンタクトをとってみたのが、松井ウクレレさんでした。何故松井さんだったのかを思い出してしみると、イイ意味で、、、雰囲気でした。
当時はどんなウクレレが良いのか全くわからなかったというのがホントのところで、店で手に取れるわけでもなく、自分の好みもわかりませんでした。そこでしょうもない腕の僕にでも、向き合ってくれそうで心を込めて作って貰えそうな人を選んだのです。
実際に思った通りの対応をしていただき、何度もメールをやりとりしたのを思い出します。
何しろ自分のためのものが手作りで出来上がる経験なんぞしたこともなかったので、とてつもなく興奮しておりました。
そして出来上がったのは、シトカスプルーストップのコアサイドバックのソプラノロングネックウクレレでした。漆塗装で指板はラウンドにしてもらいました。結構贅沢な材料でした。
それをスイスから日本に一時帰国した際にピックアップしました。
嬉しくてですね、途中漆かぶれになったりもしましたが、めげずにスイスで毎日2時間くらいは弾き倒したのを思い出します。
実はこの松井さんとの出会いは、また新たな出会いに繋がりました。
現在、僕の師匠とも呼べるデイジーどぶゆき氏を知ることになったのはこの頃なのです。
そしてさらに、楽器センター東京の白土さんも松井さんの話から繋がったのです。
異業種ではありますが、同種の仕事をしており、その中で一流と評されている白土さんにあって話を聞いてみたい、と。
ブリッジの浮き出した初代ウクレレをもって御茶ノ水に出かけていったのは、僕の中ではリペア依頼以外の思惑もありました。
知識や人柄、仕事に対するメンタリティ、そういったものにとても興味があり、古い道具の話から新しい技術の話、もちろんウクレレの話、話やメールで楽しいやりとりをしました。
そうそう、スイスに戻る前には松井ウクレレの最終調整もしてもらいました。
そしてその数年後、白土さんとの出会いも現師のデイジーさんに繋がっていくのです。
ネットの世界でウクレレ文化を知っていった僕は個人製作家の存在を知ることになりました。
知れば知るほど、まだまだウクレレの腕前は貧弱そのものでしたが、どうしても作ってもらいたくなってしまいました。
そこでコンタクトをとってみたのが、松井ウクレレさんでした。何故松井さんだったのかを思い出してしみると、イイ意味で、、、雰囲気でした。
当時はどんなウクレレが良いのか全くわからなかったというのがホントのところで、店で手に取れるわけでもなく、自分の好みもわかりませんでした。そこでしょうもない腕の僕にでも、向き合ってくれそうで心を込めて作って貰えそうな人を選んだのです。
実際に思った通りの対応をしていただき、何度もメールをやりとりしたのを思い出します。
何しろ自分のためのものが手作りで出来上がる経験なんぞしたこともなかったので、とてつもなく興奮しておりました。
そして出来上がったのは、シトカスプルーストップのコアサイドバックのソプラノロングネックウクレレでした。漆塗装で指板はラウンドにしてもらいました。結構贅沢な材料でした。
それをスイスから日本に一時帰国した際にピックアップしました。
嬉しくてですね、途中漆かぶれになったりもしましたが、めげずにスイスで毎日2時間くらいは弾き倒したのを思い出します。
実はこの松井さんとの出会いは、また新たな出会いに繋がりました。
現在、僕の師匠とも呼べるデイジーどぶゆき氏を知ることになったのはこの頃なのです。
そしてさらに、楽器センター東京の白土さんも松井さんの話から繋がったのです。
異業種ではありますが、同種の仕事をしており、その中で一流と評されている白土さんにあって話を聞いてみたい、と。
ブリッジの浮き出した初代ウクレレをもって御茶ノ水に出かけていったのは、僕の中ではリペア依頼以外の思惑もありました。
知識や人柄、仕事に対するメンタリティ、そういったものにとても興味があり、古い道具の話から新しい技術の話、もちろんウクレレの話、話やメールで楽しいやりとりをしました。
そうそう、スイスに戻る前には松井ウクレレの最終調整もしてもらいました。
そしてその数年後、白土さんとの出会いも現師のデイジーさんに繋がっていくのです。
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