2014年10月30日木曜日

人と音楽

たまにブログのネタが特に浮かばないときに、去年書いたブログの記事を肴に立ち回るのも有りかな、と思うのですが、結局去年の内容がこっぱずかしくてとても引用できません。

この感じですと、今書いているこのブログも来年の僕から見たらちゃんちゃらおかしい可能性が多分にあります。

つまり既にそのレベルは通過して久しい諸先輩方にしてみれば、最初からちゃんちゃらおかしさに溢れているのかもしれません。

誠に無知というのはおっかないものです。ただ今のところ完全に独学なので、井の中の蛙であることは僕自身も承知しとります。はい。

ちなみに以前書いた今年のパリ・ウクレレフェスティバルの記事だけは少し校正してこちらに移動させてこようと思っていますが、あまりのボリュームのため、やる気の方の意味で難航しております。

実はそのパリの滞在中に新オペラ座でバレエを見たのですが、その公演の前に古い方のオペラ座を見学してきました。

王道の観光スポットですが、建築的にも文化的にも政治的にも歴史的にもなかなか一筋縄ではいかないストーリーが隠されていてかなり面白いです。
そしてその見学の道中、端っこの方にかけられた1枚の絵がふっと心に引っかかりました。

割合抽象的な構図だったと思うのですが、一人のバイオリニストが演奏し、バレリーナが踊っている風景。

但し、本番ではなく練習風景の絵でした。



僕はそれなりに歳を重ねていますが、物心着いた頃には、テレビもラジオもカセットテープもあり、それに代わる技術が登場するものの、それがありきの世界でずっと生きてきました。

つまり、僕の知る限りの現代、バレエの練習をするのに、曲を演奏する音楽家は必要ないのです。
もちろん本番では今も昔もオーケストラが生演奏します。でも、練習では録音があれば充分です。

でも、このオペラ座ができた頃には、録音するようなものはありませんでした。
正確には、このオペラ座が落成したのとほぼ同時期の1870-80年ごろにに蓄音機が発明されています。
しかし普及するまでにはさらに十数年が必要だったでしょうし、このオペラ座落成の前に約300年の歴史がバレエにはあります。

毎回の練習に参加していたかどうかはわかりませんが、少なくとも音を含めて練習するためには演奏する人の力が必要だったに違いないと思うのです。

つまり音楽を享受するためには、あらゆる場面で音楽を奏でる「人の力」が必要だったのです。
バレエに限らず、誰かが演奏しなければ、おしゃれなカフェで小粋な音楽が流れることもないのです。

ラジオもテレビもまだ先です。自宅の食卓リビング、どこにも音が出てくる箱などないのです。

(余談ですが、一つだけあるとすれば、それはオルゴールです。そう思うと現代に比べて当時のオルゴールの価値が推して測れます。)

わかっていたようでわかっていなかったことが胸に迫ってきました。


夢想は続きます。

演奏機会が増えれば、必然的に演奏家の数は現代よりずっと多かったのでは、と。

スポーツでは競技人口が多ければ多いほど、才能が見出される機会が増え、切磋琢磨や淘汰によってレベルが上がるように思います。
例えば中国における卓球やブラジルのサッカーのように。

同じことが起こるのでしょうか。ただ、不利な点もあります。
それは情報、つまり音楽家にインパクトを与える素晴らしい演奏が、それを実際に観ることよってしか伝播しないということです。

前述の通り、ラジオもテレビもまだもっと先の話です。当然レコードもカセットもビデオもCDもありません。
フォーク少年が深夜番組でジミヘンを見て、明くる朝ストラトキャスターを買いに行くとか(それが音楽的なレベルアップかどうかは別として)絶対にあり得ないわけです。

だいぶ横道に逸れてきましたが、1枚の絵を見て、「人がいなければ音楽がなかった」そういう時代があったということをリアルに悟りました。

今はもちろんそんな時代じゃありませんが、だからこそちょっとだけ演奏が特別で楽しいのかもしれません。
そんなことで今日も練習しているんだと思われます。

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